世界に平和を発信し続けるために

~世界文化遺産「原爆ドーム」耐震補強工事~

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平和記念公園にある世界文化遺産の原爆ドームは、もともと1915(大正4)年に広島県物産陳列館として建築されたレンガ造り3階建てのビルです。1945(昭和20)年8月6日に投下された原子爆弾の爆心地近くにありながら、奇跡的に倒壊を免れました。戦後、いつしか「原爆ドーム」と呼ばれるようになり、原子爆弾の悲惨さを後世に伝えるモニュメントとなったのです。1996年には、ユネスコの世界文化遺産への登録が決定され、核廃絶や平和の大切さを発信するシンボルとして、その役割はますます大きくなりました。
この建物はすでに破壊された建物です。そのため、強い地震に耐える強度は持ち合わせていません。広島市は原爆ドームを存続させるため2001年から独自に「史跡原爆ドーム保存技術指導委員会」を設立し、有識者からなる会議で議論を重ねてきました。

「文化財的価値と尊厳」を守る意思

日建設計構造設計部の担当メンバーは、最初にプロジェクトに参画した際、最新の耐震技術で建物を補強することを考えました。しかし広島市の担当者からのヒアリングを重ねているうちに、一般的な耐震のアプローチとは異なるということに気づきました。通常、構造設計者は安心・安全を守ることを目的としますが、すでに破壊されている原爆ドームの場合、守るものは、「文化財的価値や尊厳」であり、そのために設計を行うということがどういうことなのかを、あらたに考える必要があったのです。

最新のシミュレーション技術を駆使して調査を行い、
あえてシンプルな技術で補強を行う

まずは、大地震が起こった時に、建物のどこに力がかかるのかを知るため、調査を開始しました。広島市が作っていたCAD化された図面や、今後起こりうる大地震の波形などの資料を使い、最先端のシミュレーション技術を駆使して構造解析し、2012年にこの建物のウィークポイントを捜し当てました。さらに2013年には、実際に建物のレンガを抜き出し強度の調査を重ね、構造解析や強度調査の結果をもとに10以上の補強案を立案しました。

2014年、日建設計は立案した補強案の中からさらに5案に絞り込み、広島市に提案しました。そして、2015年には「原爆で壊れたレンガ壁に補強鉄骨材を取り付ける」という補強鋼材追加案の採用が決まりました。
この方法は、数ある耐震改修技術の中でも決して最先端と言われるものではありません。むしろ、シンプルで最小限のものですが、ユネスコが世界遺産などを補修する際のグローバルスタンダードである①視覚上の外観変更は原則として行わないこと、②必要最小限の対策であること、③極力可逆的であること、から導き出された結論だったのです。

未来の技術に託す・未来につなげる

何故、その方法を選んだのか。それは、原爆ドームように複雑な想いの詰まった史跡は、ある時の技術で、ある時の人たちの気持ちで無理やりにでも存続させるのではなく、その時代時代を受け入れながら存続していくものだと考えたからです。今回の補強工事は、現時点でのベストをつくしながら、一方で、現在の技術に驕ることなく「未来の技術に託す」という考え方で実施されたものでありました。

補強工事は2016年からスタートし、オバマ大統領が訪問した同年5月には基礎工事が終わり、7月末に完成の予定です。
日建設計の構造設計者は、このプロジェクトに関わったことで大きな気持ちの変化があったと言います。
「どこをどう補強したのかわからないね、と言われることがあります。それこそが我々の目指したところでした。最先端の技術を導入するのではなく、もとある素材と同じものを使いながら、それでいて効果のある補強を実施したのです。こういう手法もあるのだということに気づいたことは、我々にとっても大きな発見でした。未来へ平和の思いをつなげていく。そのような仕事に携われたことは本当に光栄だったと思います」

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