プロローグ

私たちの原点は、臨時建築部26名

 ここに1枚の明治時代の集合写真があります。日建設計の源流である住友本店臨時建築部の創業時26人の集合写真です。背景の建物は当時の臨時建築部の事務所で、大阪の堂島川沿いにあった徳島藩邸の長屋門でした。左隅の板には縦書きで「住友本店臨時建築部」と墨書されています。この名称の中で「臨時」とあるように、ある目的を終えれば解散することが前提の誕生だったのです。
創業は明治33年(1900)でした。

 その30数年後の昭和8年(1933)、折からの世界的な大恐慌に呑み込まれ、臨時建築部の後身である住友合資会社工作部では次々と解雇が続いていました。工作部の2人のリーダー、長谷部鋭吉と竹腰健造は工作部員の離散を見るに忍び難く、自らも住友を離れ、30名の部員と共に独立し建築事務所を設立する決意をしました。しかしその船出は、大不況の嵐の中を小舟で漕ぎ出すような覚悟でした。長谷部・竹腰建築事務所の設立です。

1-1 創業時の住友本店臨時建築部所員一同

 第2次大戦の終戦直前、大恐慌による危機を乗り越えた長谷部・竹腰建築事務所は所員数250人の大所帯になっていました。しかし、国家による企業整備令に従い、再び住友に復帰しています。
 終戦直後は、商社部門も持つ日本建設産業となりましたが、戦争の焼け跡からの復興も本格的に進み始めた昭和25年(1950)、臨時建築部の系譜に連なる92人の技師達は、終戦後の混乱した世相の中へ再び船出しました。日建設計工務の設立です。当時の人達は、その独立を「悲壮感を秘めた門出であった。」と回想しています。 

1-2 日建設計工務の設立の1950年を「まで」「から」の境としている。
  上の図については、「第5回配信 戦後の焼け跡から」にて解説予定。

そして今

 2013年末で、日建設計および日建グループの役職員数は2500人を超えました。現在では、日建設計と専門領域に特化した7社のグループ会社と共に、様々なサービスを発揮できるコンサルタント・グループとして歩んでいます。下に日建グループ図を示します。

1-3 日建グループ(2014年現在)

 現在、日建設計は東京スカイツリーなど多くのプロジェクトで設計監理業務に携わっており、日本最大の建築設計・都市計画事務所となっています。日建設計の名は、一般社会ではあまり知られていませんが、欧米で言うところのプロフェッショナル・コーポレーションの倫理方針に基づき、テレビや新聞などの広告媒体を使った宣伝を自粛していることも事実です。

 海外では、中国・韓国・サウジアラビア等中東・ロシア・ベトナム等東南アジアなど、世界各地でプロジェクトを推進しています。イギリスの建築雑誌での建築設計事務所のプロフェッショナル人員規模を基とした世界ランキングでは、最近の約10年間、常に上位5位以内に位置することとなりました。各国の文化に敬意を払いながら、日本で培ってきた技術と感性でそれぞれの社会に貢献してきたことが今、世界で認められています。

1-4 BD WORLD ARCHITECTUREより 2010年ランキング

 世界で活躍する建築設計事務所の中で日建設計は、最も長い歴史を有するものの1つでもあります。しかし、「大きいこと」や「歴史があること」だけに価値があるわけではありません。一つ一つのプロジェクトにコツコツと取り組んできた結果、多くの人々から長きに亘って「信頼」を頂いてきたことに価値があると考えています。 
  • 1-5 ロシア サンクトぺテルブルグ北西地区開発

  • 1-6 中国 成都銀行本店

  • 1-7 ベトナム ホーチミン市都市計画

出典
1-1:住友史料館所蔵
1-4:『BD World Architecture 2010年1月号』 

当サイトでは、クッキー(Cookie)を使用しています。このウェブサイトを引き続き使用することにより、お客様はクッキーの使用に同意するものとします。Our policy.