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須磨の浜風 -住友家須磨別邸 -

2-20 住友家須磨別邸 明治36年(1903) 須磨海岸に面した南側外観

 源氏物語など古来より白砂青松の景勝で知られた須磨の浜。現在では淡路島へ架けられた明石海峡大橋を望む須磨海浜公園となった地に、かつての住友家須磨別邸がありました。明治30年(1897)、7か月余りにわたる欧米巡遊の旅に出た春翠は、この巡遊で西洋上流社会の社交や生活儀礼を見聞し、明治の新時代には「西洋上流社会の生活様式による英国流の国際的社交の場・子女教育の場が必要である。」と痛感し建てたのが、この須磨別邸です。春翠は、長くフランスに留学し西欧社会に明るい実兄の西園寺公望を終生慕っていましたが、西園寺公望も、この住友家須磨別邸にしばしば逗留していました。

須磨の風光の下、西洋様式により建てられた瀟洒な邸宅

 春翠は、明治33年(1900)帰朝した野口孫市に、住友家須磨別邸と大阪図書館(現・大阪府立中之島図書館)の設計に着手するよう指示しました。春翠の期待を野口孫市は深く理解していただけに、住友家の家風と須磨の風光の下、西欧上流社会の様式による邸宅をいかに実現するか心魂を傾けたと思われます。
 その外観は瀟洒なビクトリアン・コロニアル様式で設計されており、内装には本格的な英国ルネサンス調の意匠が施されていました。須磨の浜に面した見晴しの良い南側には、心地良さそうなベランダを巡らし、居間や大食堂、客室・寝室を配しています。また、芸術に造詣の深い春翠の趣味を反映して、クロード・モネや黒田清輝など数多くの名画が壁面を飾っていました。明治36年(1903)4月、須磨別邸は大阪図書館に先立ち竣工し、同年8月、春翠は多数の賓客を招き園遊会を催しています。 

須磨別邸は関西の公的迎賓館の役割を果たしていた

 明治38年(1905)には英国東洋艦隊の将校多数を主賓に園遊会が催され、大正7年(1918)には英国王室コンノート殿下来臨の歓迎晩餐会がもたれました。大正8年(1919)には、皇太子時代の昭和天皇陛下が、播磨での旧陸軍大演習のため須磨別邸を宿所とされ、皇太子は、庭の中央に記念の松をお手植えされています。
 春翠の晩年にいたるまで、内外の貴賓・紳士を招待して行われた「住友の紳士招待会」は、当時広く知られた招待会であり、住友家須磨別邸は、東京の鹿鳴館のように関西の公的迎賓館の役割を果たしていました。招待された外国領事なども、「住友家の力によって、国の内外にわたる人々の親和が大きくなった。」と述べていました。ここにも春翠の国際関係への使命感を窺うことができます。 

2-21 写真「2-20」の右下に、石造腰壁の上に石造装飾杯が写っているが、この写真は、現存する石造腰壁

野口孫市による多彩な建築様式

 野口孫市をリーダーとする臨時建築部は、須磨別邸を設計していた当時、大阪図書館も設計していました。この二つの建築は、設計がほぼ同時に進行していたものの、同一人物が同時に設計したとは思えないほど、この二つの建築様式は大きく異なるものでした。
 図書館には「智慧の殿堂」に相応しいイタリア・ルネサンス後期のパッラーディオ様式が、そして須磨別邸では迎賓館的邸宅に相応しいビクトリアン・コロニアル様式が採用されています。様式上は大きく異なるものでありながら、それぞれの建築様式において第一級の作品となっていました。現代の建築史家は、この二つの建築の様式選択の幅が非常に広いにもかかわらず、夫々の様式においてレベルの高い建築が実現されたことを評価しています。
 残念ながら第二次大戦の戦火により、この須磨別邸は名画コレクション共々焼失し、戦後、須磨別邸跡は神戸市に寄贈され、現在、須磨海浜公園になっています。

2-22 須磨別邸広間

 この時代、ひたすら一途に西欧文明に追いつこうとした人達がいました。野口孫市が住友家に寄贈した蔵書目録が残っています。その洋・和書数の内訳は、英文書・独文書・仏文書など洋書計122冊に対し、和書39冊となっています。住友春翠にも、膨大な洋書による蔵書があったことが知られています。
 外国人教師にも学び、知識習得も外国文献に頼らざるを得なかった明治時代、当時の知識層の人々は、現在で言うところのグローバル感覚を、今の我々以上に持っていたのではないでしょうか。 
  • 2-23 現存する石造門柱(下記写真参照)

  • 2-24 北側立面図

  • 2-25 北側外観

(参考文献)
「住友春翠」編纂委員会 (1955)『住友春翠』住友春翠編纂委員会
小西 隆夫      (1991)『北浜5丁目13番地まで』創元社
坂本 勝比古     (1980)『日本の建築 明治・大正・昭和 5.商都のデザイン』三省堂
日高 胖編      (1920)『野口博士 建築図集』日高 胖
出典
2-20、2-22、2-24、2-25:日高 胖編(1920)『野口博士 建築図集』日高 胖
2-21、2-23:撮影:河合止揚

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