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大阪図書館 -西洋古典様式建築の「理想の原形」から -

 日本を代表する建築史家・故鈴木博之先生の『ジェントルマンの文化 建築から見た英国』という著書の中に下記の記述があります。

「……(前略) ロトンダを離れてここまでやってきたわれわれは、もっと身近にまでパッラーディオのヴィラ・ロトンダが影を落としていることに気づかなければならない。大阪の中之島に建つ大阪府立図書館がそれである。この図書館は住友家の寄附によって建設されたもので、設計にはその頃住友にいた建築家野口孫市があたった。作られたのは1904年のことである。」 

2-26 大阪図書館 (現・大阪府立中之島図書館) 明治37年(1904)

理想の原形

 住友春翠が社会貢献として図書館を大阪府に寄贈する決意をしたことは、前に記した通りです。春翠は、1年間にわたる欧米建築事情の視察から帰国した野口孫市に、須磨別邸と同時に大阪図書館(現・大阪府立中之島図書館)の設計着手を命じました。図書館の敷地は、恩師・辰野金吾により設計され工事が始まっていた日本銀行大阪支店と、公園を挟んでほぼ向き合う位置にありました。当時の公園には現在、大阪市庁舎が建っています。
 野口孫市は、西洋古典様式建築の核心を捉え、この図書館の設計にはパッラーディオ様式で取り組みました。ヨーロッパの様式建築の原点はイタリア・ルネサンス期にありますが、中でも『建築四書』を著したアンドレア・パッラーディオ(1580年没)によるヴィラ・ロトンダ(16世紀)は後世に大きな影響を残しています。イタリア北東部のヴィチェンツァにあるこの建築は、貴族達による人文主義的交わりの場として建てられて以来、19世紀末までの欧米で、「智恵の殿堂」という意味が込められた建築様式となり、図書館や大学などの「理想の原形」となっていました。ヴィラ・ロトンダは、古代ギリシャ・ローマの建築的伝統を知的に再生しようとしたルネサンス期の建築像の集大成だったのです。ちなみにパッラーディオにとっての原形は、古代ローマ時代の神々の神殿・パンテオンでした。ギリシャの哲学者・プラトンが言う「イデア」のように、「理想の原形」を求めるのは古典様式建築の基本だったのです。
 野口孫市もヴィラ・ロトンダを「理想の原形」とし、大階段を収めたドーム空間を中央に据えた十字型平面形を出発点としました。構造は組石造です。「図書館」があるべき古典様式建築の核心に正面から迫っていますが、古典様式だけに盲従するのではなく、近代的な簡潔さをも備えたものとして完成しました。「古典様式」と「近代的思考」という二つの極の間のダイナミズムに挑んでいたのです。 

2-27 パッラーディオ設計 ヴィラ・ロトンダ 16世紀

  • 2-28 大阪図書館 (上)平面図 (下)立面図

  • 2-29 ヴィラ・ロトンダ (上)平面図 (下)立・断面図

アメリカでは

 19世紀のアメリカでも「智恵の殿堂」としてのパッラーディオ様式は、大学や図書館の設計で用いられています。万能の人であり建築家そして後にアメリカ第3代大統領となったトーマス・ジェファーソンは、自ら設立し且つ設計したバージニア大学の建築でも、パッラーディオ様式を下敷きとしていました。またジェファーソンは、本来の人文主義的交わりの場として、バージニア州にモンティチェロと呼ばれるパッラーディオ様式の自邸を建てています。この家は、1987年に世界遺産になり、2003年まで米国の5セント硬貨にその姿が刻まれていました。

2-30 世界遺産のモンティチェロ 1809年

 一方、ニューヨークには19世紀後半から20世紀初頭にかけて一世を風靡するように東部一帯で活躍していた建築設計事務所がありました。当時世界最大数の所員を抱えていたマッキム・ミード・アンド・ホワイトという設計事務所です。古典的な様式建築をアメリカの大規模建築に相応しいスタイルとして再編したアメリカン・ボザールと呼ばれる建築様式で知られていました。この設計事務所でも、大学や図書館の設計ではパッラーディオ様式が採用されており、中でもニューヨーク大学やコロンビア大学の図書館が知られています。
 野口孫市はニューヨークを中心にアメリカ東部でマッキム・ミード・アンド・ホワイトの作品を多く見ており、日本の多くの建築史家がその影響を指摘しています。逆に言えば野口は、江戸時代の終焉から30数年しか経っていない時代に、世界的な視野で図書館のあり方を考えていたと言えるでしょう。 

2-31 マッキム・ミード・アンド・ホワイト設計 コロンビア大学図書館 1897年

両翼の増築は日高胖の手で

 大阪図書館では開館後、年々図書館利用者が増加することとなり増築の必要性が高まっていました。そのため住友家は、増築も寄贈することの検討を続け、大正6年(1917)に決断の上、大阪府知事に再度の寄贈申し出を行っています。
 しかし野口孫市は、大正4年(1915)、47歳でその短い生涯を終えていました。野口に代わって増築設計の中心となったのが、技師長・野口孫市の下で大阪図書館の設計監理に携わっていた日高胖です。十字形平面の南北の両翼に、小さなペディメントを冠した鉄筋コンクリート造の二つの増築棟が完成したのは、大正11年(1922)のことでした。
 両翼が加わることでこの建物は更に伸びやかさを増し、あたかも当初から計画されていたかのように堂々と中之島の水と緑に映えています。 
  • 2-32 大阪図書館 増築竣工 大正11年(1922)

  • 2-33 古代ローマ時代のパンテオン 128年

  • 2-34 大阪図書館の中央ドームと大階段

(参考文献)
鈴木 博之 (1982)『ジェントルマンの文化 建築から見た英国』日本経済新聞社
藤森 照信 (1993)『日本の近代建築 (下) -大正・昭和篇—』岩波書店
桐敷 真次郎(1986)『パッラーディオ 建築四書 注解』中央公論美術出版社
小西 隆夫 (1991)『北浜5丁目13番地まで』創元社
出典
2-26:日高 胖編(1920)『野口博士 建築図集』日高 胖
2-27:フリー百科事典「Wikipedia」、撮影:Philip Schäfer
2-28,2-34:『Building Future Japan 1900-2000』日建設計
2-29:Andrea Palladio(1570)『I Quattro libri dell'Architettura 』
2-30:フリー百科事典「Wikipedia」、撮影:Matt Kozlowski
2-31:フリー百科事典「Wikipedia」
2-32:住友史料館所蔵
2-33:「パラーディオ「建築四書」注解」より

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