3-1 
「和」のコラボレーション
-住友春翠・日高胖・八木甚兵衛・小川治兵衛—

 須磨別邸や大阪図書館では、「西欧文明」に正面から取り組み、江戸期から30数年で正統的な西洋様式建築を実現するに至っています。しかし、同時に「和の文化」も探究されていました。 
 住友春翠(しゅんすい)が日本文化に対する優れた美意識を持っていただけに、野口孫市(まごいち)や日高胖(ゆたか)を中心とする臨時建築部では、如何に品格ある「和」の建築を実現するかということも重要な課題でした。彼らは、「和」と「洋」という二つの精神文化のあり方について、いわば楕円形が二つの中心を持つように、二つの精神文化の中心を持つダイナミズムとしてとらえていたようです。

3-1 住友家茶臼山本邸(1915)配置図

 大正4年(1915)、住友家は現在の大阪市天王寺区茶臼山(ちゃうすやま)の地に、住友家茶臼山本邸を建てています。この茶臼山本邸は堂々たる書院を有し見事な築庭がなされたもので、春翠を施主とし、野口・日高率いる臨時建築部、大工棟梁・二代目八木甚兵衛(じんべえ)、庭師・七代目小川治兵衛(じへえ)の三者が協働して完成したものでした。

春翠が信頼した建築家・日高胖による絶妙な配置計画

 野口孫市は大正4年に逝去しており、当時、日高胖が臨時建築部の中心となっています。春翠による日高胖への信頼も、野口に向けられた信頼と同様に篤く、茶臼山本邸の設計も日高胖率いる臨時建築部に委ねられました。
 敷地の東南側に回遊式庭園が描かれている配置図からは、中央に迎賓の間である書院、南に大正7年(1918)に完成した洋館、そして北側に日常生活の場である日本間など、玄関から三矢が伸びるような巧みさで各棟が配置されていたことが読み取れます。庭の構成については、書院・洋館・日本間のそれぞれに相応しい庭の各ゾーンが形成されつつ、全体が回遊式庭園に繋げられています。和風建築に特有の、建築や庭を分節させながら連続させる手法で、全体構成がなされたものでした。
 90年後、日建設計は現代的な技術で和風を実現する京都迎賓館の設計監理を行うこととなりますが、この茶臼山本邸や後に建てられた京都の有芳園(ゆうほうえん)などの和風建築に、その先駆けを見ることができます。

3-2 茶臼山本邸 書院

大工棟梁は名匠・八木甚兵衛

 代々名匠と謳われた八木甚兵衛は、三代にわたり住友家お抱えの大工棟梁として活躍していました。臨時建築部の創設より21年前、明治12年(1879)に初代の八木甚兵衛は、住友家鰻谷(うなぎだに)本邸洋館を木造で建てています。神戸の外国人居留地を訪れて西洋建築様式を研究し、神社や寺院建築から着想した洋風装飾を考案するなど、この時代特有の、大工棟梁による洋風建築でした。
 二代目八木甚兵衛は明治22年(1889)、住友家の総理代人であった広瀬宰平(さいへい)の新居浜邸宅を建てています。伝統的日本建築でありながら、輸入品のマントルピースなど西洋技術を取り入れた優美な邸宅です。三代目は、19才で住友本店臨時建築部に入社しており、大正4年(1915)の二代目の逝去に伴い34才で八木甚兵衛を襲名しました。
 代々の八木甚兵衛は、春翠をはじめ日高胖や小川治兵衛からも信頼篤い大工棟梁だったのです。

3-3 茶臼山本邸 洋館内部

庭師・小川治兵衛

 屋号で代々「植治(うえじ)」と呼ばれた小川治兵衛の七代目は、鹿ヶ谷・南禅寺界隈における近代的日本庭園群の作庭で知られていました。山県有朋の無鄰菴(むりんあん)、野村徳七の碧雲荘(へきうんそう)、そして住友家の有芳園などが代表的な庭園です。
 小川治兵衛の庭の特徴は、広々とした芝生を効果的に用い刈込みを低く抑えるなど、明るく開けた印象の近代的な性格の和風庭園でした。空間の拡がり等の特徴からは、イギリスの風景式庭園に通じるものも感じられます。室町時代から江戸時代にかけて、禅宗寺院や茶室庭園を中心に京都庭園文化が完成され伝承されていましたが、明治に入って和風庭園は大きな飛躍を遂げることとなりました。
 茶臼山本邸の庭園は、現在でも「慶沢園」(けいたくえん)として公開されています。ここでも水景を中心とした拡がりある庭園となっており、イギリスで実地に風景式庭園を体験していた春翠にとって、植治の庭には共感できるものがあったことでしょう。

3-4 慶沢園 (正面の美術館の位置に茶臼山本邸があった)

 住友家茶臼山本邸の敷地全体は、後に大阪市に美術館用地として寄贈され、現在では大阪市立美術館が、かつての本邸の位置に建てられています。茶臼山本邸はもう存在しませんが、茶臼山本邸が出来上がってゆく様子を記した文献からは、英明なる建築主を中心とした大正時代におけるコラボレーションの理想郷を覗うことができます。その文献には、自らの技能・見識を磨くとともに、相互のプロフェッションや人格に対する謙虚な敬意を懐いていた「和のコラボレーション」の理想郷が記されています。
  • 3-5 現在の大阪市立美術館と慶沢園を上空より望む

  • 3-6 現在の大阪市立美術館の正面
      この位置にかつての茶臼山本邸の車寄せ玄関があった。
      大阪市立美術館の設計は、大阪市建築課による。

(参考文献)
「住友春翠」編纂委員会(1955) 『住友春翠』住友春翠編纂委員会
坂本 勝比古     (1980) 『日本の建築 明治大正昭和 5 商都のデザイン』三省堂
坂本 勝比古     (2000) 「日建設計の100年」『建築と社会』(2000年8月号)日本建築協会
鈴木 博之      (1999) 『日本の近代 10 都市へ』中央公論新社
鈴木 博之      (2013) 『庭師 小川治兵衛とその時代』東京大学出版社
矢ケ崎 善太郎    (2005) 『住友茶臼山本邸から移築された清凉寺澄泉閣について-八木甚兵衛の和風建築に関する研究』
                平成17年度日本建築学会近畿支部研究報告集
出典
3-1 住友史料館所蔵
3-2 住友史料館所蔵
3-3 坂本勝比古(1980)『日本の建築 明治大正昭和 5 商都のデザイン』三省堂

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