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大正12年のBCP -関東大震災と住友銀行東京支店—

 大正12年(1923)9月1日の朝は、前日来の低気圧の通過による蒸し暑さで始まっています。その日、住友銀行東京支店の庶務係主任であった平賀昌一は、思いもよらず関東大震災に遭遇することになりました。
 庶務係の平賀も建設に携わっていた東京支店の建築は、風格あるイオニア式の複柱が並ぶネオ・ルネサンス様式の外観で、最上階の丸屋根の内部にはドーム状の天井に抱かれた貴賓室を有するものでした。構造は鉄骨煉瓦造で5階建、外部に面する開口部には鋼製の手動式防火シャッターと防火戸が施されていました。この建築は、日高胖(ゆたか)をリーダーとする住友総本店営繕課の設計監理により、大正6年(1917)に竣工しています。現在、COREDO日本橋となっている敷地にかつて日本橋白木屋呉服店がありましたが、その筋向かいにこの建物はあったのです。

3-7 住友銀行東京支店 大正6年(1917)

関東大震災

 午前11時58分、東京支店の建物が地底から突然激しく揺さぶられ平賀は驚愕しました。その直後、ドーンという大きな音響とともに下方から突き上げられたかと思うと直ちに垂直に突き落とされるような衝撃が続き、強烈な上下動が襲ってきたのです。更にその震動は激しさを増し、15~16秒後には想像を絶する激烈さとなりました。折から昼食時で火を使っていたため、東京の方々で火災が発生し、低気圧の通過による強い東南風に煽られて猛火となりました。その猛火はまたたく間に広域に及ぶこととなり、圧死者1万余名に対し焼死者9万余名と焼死者数が大きく上回ることとなりました。計10万5千余名の生命が奪われたのです。

3-8 関東大震災 大正12年(1923) 京橋から見た、日本橋・神田方面の惨状

 激しい揺れが収まったのを見計らい住友銀行東京支店では一般職員を直ちに退店させましたが、逆に、他の倒壊した建物から逃げ延びた人達が続々と銀行に避難してきました。平賀達はその避難者の収容や炊き出しにあたっています。同時に平賀達は、激しい地震で歪んだシャッターを応急処置しつつ、全館の窓の手動防火シャッターや防火戸を閉じて回っていました。この行動が東京支店を全焼から守ることになったのです。午後8時ごろ、消防隊の避難勧告が出され人々は皇居前へ避難するため去ってゆきました。

 平賀は午後9時過ぎに退出しようとして館外に出てみました。しかし時すでに遅く、四方を猛火に囲まれており、脱出を断念し覚悟を決めて部下4人と共に館内に戻ったのです。営業室に立て籠もった平賀達が見たのは、猛火に煽られて赤黒く焼けた防火シャッターでした。またシャッターとガラス窓の間に取り付けられた鋼製建具の塗料も燃え上がっており、外部の猛火から忍び込んだ煙は館内に充満していました。
 ようやく午前2時ごろ、白木屋呉服店をはじめとする周囲の建物はすべて燃え落ち、外の熱気と煙も薄らぎつつありました。そして明るくなり始めた午前5時ごろ、焦土と化した外に立ったのです。

3-9 断面図 1階~3階の中央吹き抜け部が営業室

大震災の翌日からの営業も可能だった

 日本橋一帯は見渡す限りの焼野原となっていました。多くの企業が、建物が倒壊したり激震には耐えたものの激しい猛火で内部を焼失するなど、企業活動を続けるのが困難な状況に陥りました。しかるに、住友銀行東京支店は大震災翌日からも営業を続けられる状態だったのです。平賀昌一達の決死の働きと住友の堅実性が当時の新聞や雑誌で喧伝され、後に小学校の教科書に載ることとなりました。住友が東京に進出してまだ日も浅い時代でしたが、住友本店第二代総理事の伊庭貞剛は後に自叙伝で、「住友建築部の設計の確実性と、住友事業の堅実性が新聞や雑誌で喧伝された。住友もようやく東京財界に頭角を現わし、住友の東京進出の基盤ができたのであった」と回顧しています。

3-10 焼け跡の中に残った住友銀行東京支店

BCP(Business Continuity Planning)の原点

 2011年3月11日に発生した東日本大震災でも多くの企業が、貴重な人材や設備を失い、企業生命の危機に見舞われました。記憶に新しいところです。東海・東南海・南海地震の起きる可能性が益々高まっている現代にあって、災害のような予期せぬ出来事が発生しても、最低限の事業活動の継続や早期に事業を再開できるよう事前に策定すべきことの重要性が強く認識されてきました。その計画は、BCP(Business Continuity Planning)、すなわち事業継続計画と呼ばれています。
 住友銀行東京支店では、関東大震災による大地震と大火災に耐え、現代で言うところのBCPが達成されたわけです。しかし日高胖は、平賀昌一の行動があってこそ建物が守られたとして、「有事の際の人の働きの大切さ」を切々と語っていました。現代においてBCPが喧伝されていますが、この日高の思いはBCPの原点でもあるでしょう。

3-11 崩壊し焼け落ちた、向かいの白木屋呉服店

3-12 関東大震災 延焼の推移

(参考文献)
住友銀行編       (1979)『住友銀行 八十年史』住友銀行 行史編纂委員会
小西 隆夫       (1991)『北浜五丁目十三番地まで』創元社
「住友春翠」編集委員会 (1955)『住友春翠』住友春翠編集委員会
吉村 昭        (1973)『関東大震災』文藝春秋
鈴木 博之       (2007)『建築の遺伝子』王国社
藤森 照信       (1993)『日本の近代建築(下)』岩波書店
小西 隆夫       (1993)『住友営繕のふるさと物語』「日建設計 社内報 特別号1993年3月」日建設計
出典
3-8 大阪毎日新聞社(1923)『関東震災画報』
3-9 "Building Modern Japan 1900-1990" 日建設計
3-10 住友銀行編(1998)  『住友銀行百年史』住友銀行 行史編纂委員会
3-11 著作者不明
3-12 震災豫防調査會(1925)『大地震ニヨル東京火災調査報告』

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