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日本生命保険本店本館 -激動の時代と共に生き続けた品格ある建築-
堂々としたイチョウ並木が続く御堂筋の中にあって、岡山県北木島産の花崗石による落ち着いた外装に包まれた、風格ある日本生命保険本店本館は、御堂筋の美しい都市景観に最も似合う建物の一つと言えるでしょう。しかしこの建物も、数奇な歴史の荒波を越えて現在に至っています。
激動の時代と共に生き続けた建築
長谷部・竹腰建築事務所の時代に日本生命保険本店本館の設計が始まりましたが、本館北側半分が完成した昭和14年(1939)は、深刻な日中戦争に突入していた時代でした。時節柄、まず建物の北半分だけを作り、石貼りの外壁は、全体が完成できる時に一緒に仕上げることとされ、コンクリートの上にモルタルが塗られただけの外装となっていました。さらに、第二次世界大戦に入ると建物の外壁は黒く塗装され、終戦直後は進駐軍に接収されるという事態も経験しています。
ようやく花崗石の外装が北側の第1期部に施工されたのは、第1期竣工後15年を経た1954年のことでした。ちなみに、この時期の南半分の敷地には、明治35年(1902)竣工の辰野金吾・片岡安監修、関野貞設計による赤レンガに花崗岩の帯をもつ外観の旧本館が建っていました。この様式は、東京駅等を設計した明治の巨匠・辰野金吾が多く採用したため、「辰野様式」と呼ばれています。旧本館を撤去して、現在の花崗石貼りの本館全体が完成したのは、昭和37年(1962)のことでした。長谷部・竹腰建築事務所による設計を継承した日建設計工務の後継者達の設計監理により、南側の第2期工事が遂行され完成に至っています。
戦争の混乱の中、昭和前半の激動の時代を生き続けた建築だったのです。
ようやく花崗石の外装が北側の第1期部に施工されたのは、第1期竣工後15年を経た1954年のことでした。ちなみに、この時期の南半分の敷地には、明治35年(1902)竣工の辰野金吾・片岡安監修、関野貞設計による赤レンガに花崗岩の帯をもつ外観の旧本館が建っていました。この様式は、東京駅等を設計した明治の巨匠・辰野金吾が多く採用したため、「辰野様式」と呼ばれています。旧本館を撤去して、現在の花崗石貼りの本館全体が完成したのは、昭和37年(1962)のことでした。長谷部・竹腰建築事務所による設計を継承した日建設計工務の後継者達の設計監理により、南側の第2期工事が遂行され完成に至っています。
戦争の混乱の中、昭和前半の激動の時代を生き続けた建築だったのです。
品格について
現在、日本生命保険本店本館は何事もなかったかのように、御堂筋に品格をもって佇んでいます。そして、この品格には、言葉では表現できないほどの類まれな気品の高さがあります。
昭和11年(1936)の長谷部・竹腰建築事務所による図面では、2種類の御堂筋側立面図が描かれていました。1つは、北側半分の外壁をモルタル仕上げとし南側半分には辰野様式の旧本館を丁寧に描いたもの、そしてもう1つは、現在の花崗石による外装の全体立面図です。すぐ実現するわけでもない全体像が描かれた設計図書には、石積み外壁面に絶妙な配置で意匠を施された窓の詳細図が描かれていました。
昭和11年(1936)の長谷部・竹腰建築事務所による図面では、2種類の御堂筋側立面図が描かれていました。1つは、北側半分の外壁をモルタル仕上げとし南側半分には辰野様式の旧本館を丁寧に描いたもの、そしてもう1つは、現在の花崗石による外装の全体立面図です。すぐ実現するわけでもない全体像が描かれた設計図書には、石積み外壁面に絶妙な配置で意匠を施された窓の詳細図が描かれていました。
また、外壁の基壇部、最上部の軒蛇腹、最上階床位置にある胴蛇腹、そして建物四隅部の4分の1円弧状の隅切り等の石積み外装の丹念な詳細図も多数描かれていました。現在の日本生命保険本店本館の品格は、完成度の高いプロポーションとディテールが、過度の装飾を排しつつ部分から全体に至るまで貫かれていることに由来しています。クラシズムとモダニズムを統合した完成度の高い建築となりました。
右図は、御堂筋側立面図上での黄金比構成の分析です。この図は近年作成されたものですが、黄金比矩形と正方形を連結した第2黄金比が形成されていると分析しています。また、花崗石の上品な枠組みを施された1階の窓でも、黄金比を確認することができます。当時の設計者達による黄金比スケッチが残っているわけでもないので、実際にこのように考えたかどうかは分かりません。しかし長谷部鋭吉が意匠設計した住友ビルディングの立面図でも、同じような黄金比分析ができることを思うと、「もしかしたら当時の人達は、美神を求めるように、コンパスを動かしていたのでは?」という思いも湧いてきます。
右図は、御堂筋側立面図上での黄金比構成の分析です。この図は近年作成されたものですが、黄金比矩形と正方形を連結した第2黄金比が形成されていると分析しています。また、花崗石の上品な枠組みを施された1階の窓でも、黄金比を確認することができます。当時の設計者達による黄金比スケッチが残っているわけでもないので、実際にこのように考えたかどうかは分かりません。しかし長谷部鋭吉が意匠設計した住友ビルディングの立面図でも、同じような黄金比分析ができることを思うと、「もしかしたら当時の人達は、美神を求めるように、コンパスを動かしていたのでは?」という思いも湧いてきます。
以上、外壁意匠について記してきましたが、平面計画においても画期的な特徴があります。それは、階段やエレベーターなどの設備諸要素を平面の中央に背骨のように配した平面計画です。現在では「コア・システム」と呼ばれているものが、昭和初期の時代に考案されていたのでした。
(参考文献)
日本生命 (1963)『日本生命七十年史』日本生命保険
日本生命 (1990)『ニッセイ100年史』日本生命保険
安達 英俊 (2013)「再読 関西近代建築 -モダンエイジの建築遺産— 日本生命保険相互会社本店本館」
『建築と社会』(2013年NO.1090)日本建築協会
與謝野 久 (2010)「Archives 大先輩の建築から学び取ること 日本生命本館」『日建設計 ニュースレター』
(2010年11月)日建設計
與謝野 久 一水会80周年記念講演資料より「住友銀行本店北立面図黄金分割分析」
『住友ゆかりの建築に見る「進取と調和」のこころ』
山根 正次郎 (1996)「建築家 山根正次郎 -建築プロフェッションの原点を求めてー」
『建築ジャーナルブックレット2』建築ジャーナル
岡橋 作太郎 (1962)「日本生命本館 設計者のことば」『建築と社会』(1962年7月号)日本建築協会
日本生命 (1963)『日本生命七十年史』日本生命保険
日本生命 (1990)『ニッセイ100年史』日本生命保険
安達 英俊 (2013)「再読 関西近代建築 -モダンエイジの建築遺産— 日本生命保険相互会社本店本館」
『建築と社会』(2013年NO.1090)日本建築協会
與謝野 久 (2010)「Archives 大先輩の建築から学び取ること 日本生命本館」『日建設計 ニュースレター』
(2010年11月)日建設計
與謝野 久 一水会80周年記念講演資料より「住友銀行本店北立面図黄金分割分析」
『住友ゆかりの建築に見る「進取と調和」のこころ』
山根 正次郎 (1996)「建築家 山根正次郎 -建築プロフェッションの原点を求めてー」
『建築ジャーナルブックレット2』建築ジャーナル
岡橋 作太郎 (1962)「日本生命本館 設計者のことば」『建築と社会』(1962年7月号)日本建築協会
出典
4-20 日本生命(1968)『日本生命七十年史』日本生命
4-20 日本生命(1968)『日本生命七十年史』日本生命