渋谷駅周辺の “まちづくり”のこれまで、そしてこれから。【後編】

Scroll Down

2019年11月には「渋谷スクランブルスクエア」、12月には「渋谷フクラス」が開業と、“まちびらき”が進む渋谷。再開発の大きなきっかけは、2002年、東急東横線と東京メトロ副都心線の相互直通運転の決定までさかのぼる。以来、この巨大プロジェクトはどのように進んできたのか、異なる立場からまちづくりに関わったメンバーが語り合った。対談の会場となった渋谷区役所新庁舎に集まったのは、パシフィックコンサルタンツ株式会社渋谷プレイングマネジャーの小脇立二さん、一般社団法人渋谷未来デザイン事務局長の須藤憲郎さん、渋谷区土木部道路課長の米山淳一さん、株式会社日建設計都市開発グループ代表の奥森清喜、(写真右から順)。4人が語る渋谷駅周辺のまちづくりのこれまで、そしてこれからの姿とは。ファシリテーターは、渋谷駅周辺の開発プロジェクトに長年携わり、現在は渋谷未来デザインのプロジェクトデザイナーも務める、日建設計都市開発部アソシエイトの金行美佳。

TAG

公共と民間が議論を交わしながら進めた都市計画

金行:渋谷駅周辺のまちづくりは、東京メトロ副都心線の渋谷への乗り入れからスタートし、最終的には東急電鉄やJR東日本も含めて、ほぼすべての鉄道が改良されることになりました。鉄道をここまで大きく改良したまちづくりは、ほかにない事例だと思います。

米山:すべてが芋づる式に絡み合っていたんです。まず副都心線と東横線が相互直通運転することになって、渋谷を“通過駅”にしないように、渋谷ヒカリエを建てて早く人の流れをつくらなければならない。合わせて東急(百貨店)東横店も改良しなければならず、建物に入っている銀座線の駅を動かす必要があるというように。

奥森:銀座線をどう動かすのかについても、多くの議論がありましたよね。JRにしてもそうで、埼京線を山手線に近づけて利便性をいかに高めるのかという議論がありました。

米山:2003年の「ガイドプラン21」では、その議論はあったものの、鉄道改良計画にはまったく触れられませんでした。鉄道改良計画の検討を進めていくためには、技術的な検討や費用負担などさまざまな調整が必要で、当時は行政としてそこまで踏み込めなかったんです。でも、ある瞬間から、一気に具体的に動いていきました。

小脇:大きな契機となったのは、やはり鉄道事業者会議でしょう。鉄道事業者の人たちと一緒に、渋谷駅が抱える課題をどう考えていくのかという議論を、損得の話も損得抜きの話も両方含めてやった、本当にコアな会議でした。

金行:鉄道事業者会議という場づくりだけでも、さまざまな調整が必要ですよね。複雑な計画であり、複数のステークホルダーがいる中で、どういうメンバーで、何を目的に検討するのか。場の立て付けを決めていくことが大事ですね。

小脇:その会議を推進されたのが、「ガイドプラン21」の検討委員会で副委員長だった東京大学の家田仁先生です。時間はかかったものの、「絶対にこのメンバーでやり遂げなくてはいけない」と奮闘されていました。

須藤:当時は、個人の力が状況を動かす大きな材料になっていたんですね。そして「指針2010」で、ようやく鉄道をどう改良していくかを打ち出せたわけですが、行政側は「こうあるべきだ」と言うことはできても、実際に事業を進めるのは鉄道事業者ですから、ちゃんと事業として成り立たせないといけない。そこが非常に難しいところでした。

小脇:あの頃は、毎日のように喧々諤々の議論を交わしていましたね(笑)。

須藤:小脇さんには、これら渋谷駅周辺の都市基盤をどう整備していくのかをまとめた「基盤整備方針」の検討にも関わっていただきました。

小脇:僕は渋谷区のコンサルタントでありながら、鉄道など民間事業者のコンサルタントとしての役割もありました。「お前はどっちの立場だ」と言われて「どっちもです」と答えるやりとりを何回したことか(笑)。でも、僕の力というわけではなく、最終的には公共と民間が共通解を見出せたことで、2009年に渋谷駅街区に関わる都市基盤の都市計画が策定されました。そこから基盤・鉄道だけでなく、開発計画も検討が進んでいったという意味で、フェーズが一気に変わった瞬間のひとつだったと思います。

奥森:渋谷駅周辺のまちづくりは、鉄道だけでなく、駅前広場や渋谷川も含めた都市インフラの再編を公民連携で推進した、時代の変わり目を象徴するプロジェクトだと思います。まちづくりは、もう公共だけでやるという時代ではないし、単純に1本の線を引けば計画ができるわけではない。どっちが公共でどっちが民間という線引きもないような状態で、お互いに一歩ずつ踏み出し合って進めていましたね。

米山:個人の思いと組織の思いはまた別ですからね。ユーザーとしては「どう考えても駅の乗り換えがしづらいよな」と感じていたとしても、企業としてお金を出せるかどうかは別の話ですし。やはり一歩踏み込めるかどうかということと、いかに合意形成するかなんでしょうね。

金行:最終的には、みんなが握手をしているからすごいですよね。都市計画には書かれていない、並々ならぬご苦労の賜物だと思います。

小脇:ちょっと昔だったら、「計画なんていうのは20年かけてつくって、20年かけて実現すればいいんだ」という感覚だったはずです。でも渋谷駅周辺の都市インフラの再編計画には明確なリミットがあって、スピード感を持って決めなくてはいけない状況で議論したのもよかったのかもしれません。世の中には絵に描いた餅の計画がたくさんあるけれど、渋谷の場合は実際につくることが目的でしたから。

須藤:根本にあるのは、自然災害があっても“人が死なない”都市基盤をつくらなければいけないという想いでしょう。行政側の責任としても、鉄道側の責任としても、みんなが本気でやらないと危ないという考えが一致していたからこそ、決めていくことができたのではないでしょうか。

エリアマネジメントから生まれる「渋谷モデル」を世界に発信する

金行:「指針2010」に記載された「エリアマネジメント」というキーワードも印象的ですね。その頃から、世の中でも「街をどう運営していくのか」ということが語られ始めました。また、2016年に策定された「渋谷駅周辺まちづくりビジョン」(以下、「まちづくりビジョン」)では、「共創」という理念が大きく打ち出されています。これも新しい視点ですよね。

渋谷駅周辺まちづくりビジョン2016 渋谷駅周辺まちづくりビジョン2016

須藤:大方針をつくって中期計画を策定して……という従来のやり方では世の中の動きについていけませんから、他のやり方もあるのではないかという仮説のもとに検討をスタートしたのが「まちづくりビジョン」です。僕は東日本大震災が、人はどう生きるべきかを真面目に考えるきっかけになったと思っているんです。まちづくりについても同じで、まず渋谷の歴史や地形など根本を共有するのが大事。「まちづくりビジョン」は、いわば議論をするための叩き台、ツールのようなものだと捉えています。

奥森:結果として「渋谷駅前エリアマネジメント協議会」や、須藤さんが事務局長を務めている渋谷未来デザインができて、まちづくりの担い手が増えてきましたね。

須藤:「指針2010」をつくった頃に比べて、エリアマネジメントという言葉自体がずいぶん浸透してきて、全国的にもいろいろな取り組みが見られます。その中でも、鉄道各社や地権者、行政が関わる渋谷駅前エリアマネジメント協議会はかなりの特殊解。さらに、地元の商店街などで行われているエリアマネジメント活動などもあって、今後は、渋谷未来デザインが情報共有のハブになりうるのではないかと思っているんです。20年、30年先までをイメージして、渋谷という街をよりよくしていくためには、若い人が主体にならなければならない。渋谷未来デザインという組織は、基本的にはいかに若者にまちづくりへ参画してもらうかを考える組織だと思っています。それはまさに、行政だけではできないことですし。

米山:官も民も地域も入ってやっていくという渋谷未来デザインの発想は、本当の意味での“まちづくり”ですね。これだけ公共施設が増えると、維持管理だけで莫大な費用がかかりますから、新たな仕組みをつくらなければいけないということは、たしかにあると思うんです。だからこそエリアマネジメントをやっているわけですが、まだ始まったばかりで、施設が完成したあとの話にまでは結びついていません。そういった部分を、とくに期待したいですね。

奥森:たしかに、これまでは官民協働でいかにつくるかを考えてきましたが、できてからみんながどう関わっていくかも重要だと思います。エリアマネジメント組織は、さまざまな人が集まっていろいろなアイデアが出やすい場であることは間違いありませんし。

小脇:開発の議論の中では、「渋谷の街は寛容性が高い」という話もよく出ていました。これまでの経緯を考えても、渋谷は新しいチャレンジがしやすい場所ですよね。

金行:今日はこれまでの20年を振り返ってきましたが、これから先は次世代に引き継いで、新たなまちづくりを進めていかなければなりません。それぞれの立場で、次の担い手に期待することを聞かせてください。

米山:「100年計画」といわれていますが、100年後には、今関わっている人はおそらく誰も残っていないでしょう。少子化は進むでしょうし、外国人の方がもっとたくさん入ってくるかもしれないし、未来がどうなるかはわかりません。でも、行政としての立場でいうなら、何が起こるかわからないこそ、計画というものが非常に重要なんです。そこに熱い思いをかけてほしいですね。

須藤:これから技術がどんどん進歩すると、すばらしい恩恵を受けられる反面、失われるものも出てくるでしょう。それでも、先端技術によって文化が削ぎ落とされたり、人はなぜ生まれ、どう生きるのかというもっとも大切なところが抜け落ちないようにしてほしい。たとえば、腕時計は電池式が一般的になったけれど、最近は機械式の良さも見直されていますよね。同じように、両面を見ながら進めていってもらいたいですね。

小脇:みなさんと話をしていて感じたのは、渋谷の再開発は、そのときどきのタイミングで人と人とがぶつかり合い、あるいは理解し合って動いてきたということ。この先、工事が続いていく中でも、フェーズに応じて、その瞬間瞬間で立場が異なる人が存在します。人がいて初めて街として成り立つわけですから、率直に意見をぶつけ合い、納得するまで話し合う。そういう街として生きていってくれたらいいなと思います。「人が主役」というところが渋谷の面白さですから。

奥森:まずはこの20年間の取り組みの成果として、今年の秋以降、駅周辺のいくつかの再開発が一段落します。すると、平日の昼間の人口がすごく増えます。新しいユーザーが集まって、イノベーションを起こしたり、これまでにない活動をしたり。そうした動きの広がりが「渋谷らしさ」の具現化であり、さらには「渋谷モデル」として日本中、あるいは世界に発信していけるかもしれない。再開発の未来は、そんな大きな可能性を秘めていると思います。

米山淳一
渋谷区土木部

1989年、渋谷区役所に入区。公園行政、道路行政を経験し、2000年、都市整備部都市計画課に配属。渋谷駅周辺整備事業や大規模開発事業において地域の視点により事業間調整を実施。2012年、通称キャットストリートと呼ばれる都市計画道路(補助164号線)未整備区間の都市計画廃止に従事。2016年に土木部道路課長に就任、現在も道路管理者として渋谷駅周辺整備等事業に携わる。

須藤憲郎
渋谷未来デザイン
事務局長(渋谷区経営企画部参事)

1977年、渋谷区役所土木部に配属。TDMに基づく公園通り再整備や井の頭通りの道再生事業など道路空間再配分をきっかけとしたまちづくりを担当。2009年から都市整備部で渋谷駅周辺整備に係る総合的調整を担当。2018年度、渋谷未来デザインを立ち上げ、現在、渋谷区派遣事務局長として新しい仕組みによる都市サービスプロジェクトを推進中。

小脇立二
パシフィックコンサルタンツ
総合プロジェクト部 渋谷プレイングマネジャー

1983年、早稲田大学理工学部土木工学科を卒業後、パシフィックコンサルタンツに入社。1988年頃より大規模開発に係る交通計画検討業務に従事。その後、特に鉄道駅を中心とした交通結節点整備とまちづくり計画に係わる業務を担当。1990年には二子玉川駅周辺開発に係る人々と、1997年には渋谷駅周辺整備の計画に係わる人々と運命的な出会い。以来20年以上に亘り、渋谷のまちづくりに従事し、現在も継続中。

奥森清喜
日建設計 執行役員
都市部門 都市開発グループ プリンシパル

1992年、東京工業大学大学院総合理工学研究科を修了後、日建設計に入社。専門は都市プランナー。東京駅、渋谷駅に代表される駅まち一体型開発(Transit Oriented Development : TOD)に携わり、中国、ロシアなど多くの海外TODプロジェクトにも参画。主な受賞に、土木学会デザイン賞、鉄道建築協会賞、日本不動産学会著作賞など。

プロフィール

金行美佳
日建設計
都市部門 都市開発部 アソシエイト

日建設計に入社後、エリアビジョンづくりや規制緩和などの政策立案から、複合的な都市開発事業の都市計画コンサルティングまで幅広く従事。最近では、渋谷駅や東京駅周辺エリアの駅まち一体型開発に携わる。また、渋谷未来デザインの設立から参画し、プロジェクトデザイナーとして規制緩和やエリアマネジメントの仕組みづくりを推進している。

プロフィール

当サイトでは、クッキー(Cookie)を使用しています。このウェブサイトを引き続き使用することにより、お客様はクッキーの使用に同意するものとします。Our policy.