7-1 
技術ビッグバンの時代:1970年~2000年 
—「成長の限界」への気付きも始まる—

  • 7-1 『設計の技術—日建設計の100年』総括監修 内田祥哉教授

  • 7-2 『設計の技術—日建設計の100年』目次

 終戦後25年を経て、高度経済成長も経験した日本は、昭和45年(1970)年から平成12年(2000)までの30年間、社会や技術がビッグ・バンのように拡大する時代となりました。転換点の年となった昭和45年(1970)、日建設計工務株式会社は「株式会社 日建設計」と改称しました。また、英文による「planners/architects/engineers」とついたのも同年からです。
 日建設計は平成12年(2000)に、『設計の技術-日建設計の100年』を出版しました。この本は、‘70年代から’90年代にかけて蓄積された、都市計画や建築設計の各分野での技術的な取り組みをまとめたもので、右上はその目次です。
 この本を総括監修された内田祥哉(よしちか)東京大学名誉教授は、この本について、「ひとつの設計事務所の技術史という位置づけを超えて、日本の建築技術史を、固定した視点から観測している。」と述べられています。当時の価値観や社会の要請を浮き彫りにしつつ、都市や建築について出来る限り包括的に近代から現代への技術史を記述しようと試みられました。

7-3  大阪千里丘陵で開催された万国博覧会 昭和45年(1970)
日建設計工務は、丹下健三東京大学教授(当時)によるパイロットプランに基づき、基幹施設配置計画を行った。また、日本政府館、地方自治体館、リコー館の設計監理を行い、アーサー・エリクソンの基本計画によるカナダ館の実現にも協力している。

世界は、「環境問題」に初めて気付いた

 昭和45年(1970)は、大阪の千里丘陵で万国博覧会が開催された年でもありました。この万博のテーマは「人類の進歩と調和」であり、テーマの中に入った「調和」という言葉は、この時代以降の社会のあり方を示しているようです。昭和47年(1972)、ローマクラブから「成長の限界」が発表されましたが、この時代あたりから「地球の有限性への気付き」の時代が始まったと言えるでしょう。その後40年以上を経た現在、燃料電池やシェールオイル等の技術革新が行われているものの、この「成長の限界」の予測や提言内容の真実味は増しています。
 「居住環境を快適に保ちながら、地球資源をいかに活用するか?」という課題は、様々な省エネルギーの技術を生み出しました。街づくり等の広域の計画において、エネルギーを効率的に使える地域冷暖房の技術も広く行われるようになりました。また、平成7年(1995)の阪神・淡路大震災の経験も踏まえ、都市防災や水環境の保全そして緑の街づくりにも取り組まれています。

7-4 ローマクラブ『成長の限界』(1972)より抜粋

社会の大型化により、必要となった大空間技術

 社会の大型化・複雑化への変化と並行して、建築の分野でも、多くの機能を複合した大型プロジェクトが登場するようになりました。そのような機能が複合した大型プロジェクトでは、様々な新しい工夫が考え出されています。例えば、建物に活気や分かり易さを生み出すために、自然光が入る大きな吹き抜けを作る「アトリウム」と呼ばれる空間も登場しました。また、多くの人々を収容できるアリーナやオーディトリアムも必要なり、様々な種類の大空間を実現するための構造技術や音響・空調技術も、この時代に進化しました。

7-5 大阪ドーム(現:京セラドーム) 平成9年(1997)

「質の高いオフィス」の需要拡大

 ‘70年代にオイルショックを経験したものの、日本経済は、’80年代の輸出拡大に続く安定成長期に入り、着実に国際競争力を付けることとなりました。オフィス環境も国際的な水準が求められるようになります。
 オフィスも生活空間であるとの認識が高まり、「質の高いオフィス」の需要拡大が起こりました。オフィス空間の計画技術、高層構造物の設計技術、外装の設計技術、IT化技術などが進化しています。これらの技術は、バブル経済の浮き沈みにもかかわらず、都市における良質なオフィスの需要拡大に支えられ現在も進化し続けています。

7-6 大正海上本社ビル(現:三井住友海上駿河台ビル) 昭和59年(1984)
   質の高いオフィスを実現するだけではなく、周辺環境に調和する新しい景観をつくりだした。

技術ビッグ・バンの時代:我々は何者か?

 戦災復興を引きずった'60年代から飛躍するかのように、'70年代以降の日本の社会・経済では、規模拡大に伴う質的変化が起きています。そして、その変化に応えるように都市や建築の分野でも、技術的なビッグ・バンとでも言えそうな技術拡大が起きました。
 日建設計は、創業時から建築設計事務所というコア・コンピタンスで成長してきましたが、大きく変わりつつある社会の中で、日建設計の中で、「我々は何者か?」「我々はどこへ行くのか?」ということを自らに問う動きが出てきました。そこで次世代を担う人達が中心になり、約30年後の2020年までを区切りとしたビジョンが作られることとなりました。

7-7 「社会環境デザインの先端を拓く専門家集団」のビジョンが示されたレポート 平成4年(1992)

 平成4年(1992)にまとめられたこのレポートでは、「社会環境デザインの先端を拓く専門家集団」という明快なビジョンで自らを規定しています。生活者の視点に立って、広いネットワークを築きながら、デザインサービスの領域拡大と高度化を目標とするものです。
 後年、7つのグループ会社が誕生し、それぞれの専門分野においてそれぞれの能力を最大限に発揮する各グループ会社の集合としての日建グループとなりましたが、その萌芽をこのレポートに見ることができます。
(参考文献)
日建設計  (2000)『設計の技術 - 日建設計の100年』日建設計
橋本 喬行 (1999)『北浜5丁目13番地から』創元社
出典
7-3 提供:大阪府日本万国博覧会記念公園事務所
7-4 Donelia H. Meadows, et al. (1972)"The Limits to Growth" A Potomac Associates Book"
   Mark Strauss (2012)"Looking Back on the Limits of Growth" Smithonian Magazine
7-5 撮影:フォト共同プロ
7-6 撮影:三輪晃士

当サイトでは、クッキー(Cookie)を使用しています。このウェブサイトを引き続き使用することにより、お客様はクッキーの使用に同意するものとします。Our policy.