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社会の大型化と共に —中野サンプラザと新宿NSビル—

 1970年~1980年代になると、経済や文化等で社会の大型化・多機能化が進展し、社会の器であるところの建築にも大型化・多機能化への対応が求められるようになりました。同時に、社会のより大きな器である都市そのものも大規模化・複雑化が進展し、その中の要素である建築は「都市的な脈絡の中でのあり方」が重要なテーマになってきました。
 大型化へ向かう社会の中で「価値」を作り出すために、当時の人達は様々な努力を重ねました。中野サンプラザと新宿NSビルの2つの建築をその事例として紹介します。

7-8 中野サンプラザ 断面透視図 昭和48年(1973)

中野サンプラザ:なぜ大三角形か?

 多くの人々が未来への夢を抱いていた昭和という時代がありました。昭和48年(1973)、中野サンプラザ(当時の名称:全国勤労青少年会館)の開館記念フェスティバルが、田中角栄首相の挨拶に続く尾崎紀世彦らの高らかな歌声で始まっています。まさしく若者のための殿堂がオープンしたのです。
 その4年前、事業企画をしていた労働省より日建設計に、ある課題が示されています。それはこの限られた敷地の中で、オーディトリウム棟・ホテル棟・事務所スポーツ施設棟の3棟を、平面的にどのように配置するかということでした。その課題通り、3棟を平面的に配置した模型を作り検討しましたが、当時の設計者達には「3棟を複合させ全体を一つにすることで、今までできなかった多くの良いことができるようになる」という確信も持っていました。その確信に基づき、設計者達が、事業を企画した人々に対し根気よく説明した結果、「なるほどそういう可能性もあったのか」と今まで思いもよらなかった案への理解を得ることとなったのです。しかし、これは前代未聞の大きな三角形の建築でした。延べ面積5万㎡の巨大な容器の中に、地上階のオーディトリウム、高層階のホテルほか、プール・ボーリング場などスポーツ施設、レクチャーホール、事務所など様々な機能の施設が積み重ねられたものです。後年、スーパーコンプレックスと呼ばれる建築のあり方の日本での先駆けとなるものでした。

7-9 中野サンプラザ 昭和48年(1973)

 三角形断面になったのは、多くの人達が利用する施設ほど下に配置するという防災避難計画によるものです。多くの機能を複合し全体を一つにすることで、様々な新しい価値を生み出すことになりました。開業時の正式名称「全国勤労青少年会館」が示す通り、地方から上京した若者は、比較的安い料金で高層部のホテルに宿泊することができました。地上80mのホテルの一室で、東京の夜景を眼下に見渡しながらその若者は、様々な夢を見たことでしょう。「複合」したからこそ実現できたことです。
 そして「複合」を表現する大三角形は中野のシンボルとなり、同時にこの大三角形は、日本のポップ・カルチャーのシンボルとなりました。

7-10 中野サンプラザ 昭和48年(1973)

新宿NSビル:高さを競うのではなく「アトリウム」を

 昭和35年(1960)建設省と東京都は、都心部に過度に集中する都市機能を分散させるため、新宿副都心計画を都市計画決定しました。東京都の旧淀橋浄水場の跡地に道路・公園などを基幹整備して、14の街区を民間などに順次払い下げたのです。京王プラザホテル、新宿住友ビル、新宿三井ビルなど次々と超高層ビルが誕生し、これらの超高層ビルの足元には、ビルを取り囲むようにオープンスペースや屋外カフェ・ショップなどが整備されました。
 しかし新宿NSビルでは、新しい高層オフィスビルの試みとして、建物高さを競うよりも低くおさえ、2つのL字型オフィス棟に包み込まれた「アトリウム」と呼ばれる大吹き抜けを実現することとしました。そして上部のスカイライトから自然光が燦々と降り注ぐ“City in City”としての活気ある街を作り出しました。その結果、新宿副都心を歩く人達はその街を歩くシークエンスの中で、全く異なる空間体験を味わえることとなったのです。竣工直後のTVニュースでインタビューを受けた高齢のご婦人の「生きていてよかった。こんな体験があるなんて。」という言葉は、苦労して設計した人達への何ものにも勝る最高の報酬だったことでしょう。新宿NSビルは、昭和57年(1982)に竣工しています。

 建物は出来上がればそこにあるのが当たり前の存在となります。しかし、なかなか気付くことはありませんが、そこには固有の磁場のようなものが発生しています。言い替えれば「その場所が持つ物語」が発生したと言っても良いかもしれません。それぞれの時代の中で、その時代から生み出される場所の物語が、静かに綴られてきているのです。
  • 7-11 新宿NSビル 昭和57年(1982)

  • 7-12 新宿NSビル 昭和57年(1982)

  • 7-13 新宿NSビル 昭和57年(1982)

  • 7-14 新宿NSビル 昭和57年(1982)

(参考ヒアリング)
中野サンプラザ 事業企画課 オープン時の様子を電話にて梅澤司様より聴取

(参考文献)
神谷宏治・林昌二(1973)「神谷宏治・林昌二 対談 複合への志向」『新建築』(1973年6月号)新建築社
林 昌二 (1973)「自評・NSビル」『新建築』(1982年12月号)新建築社
日建設計 (1973)『技報76  新宿NSビル特集』日建設計
出典
7-9,10 撮影:新建築社写真部
7-13 撮影:三島叡/日経BP社
7-14 撮影:澤田勝良

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