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街をつくるということ -大阪ビジネスパーク—

 都市は生き物です。都市で繰り広げられる人々の生活をその生命とすると、都市の道路システムは血管系に、エネルギーシステムは消化器系に喩えられるかもしれません。また、都市の情報通信システムは脳神経系に喩えられるでしょう。そして生命の特徴である自己組織化と自己増殖が、都市再開発や新都心計画のように現れてきます。

 日建設計の東京・大阪・名古屋では、昭和45年(1970)から都市計画の仕事に地道に取り組み始め、徐々に実績を作ってきました。ここでは街づくりの一例として、大阪ビジネスパークを紹介します。

廃墟の中から

 明治維新後から戦前に至るまで、大阪城は国の重要な軍事拠点とされていました。大阪城に隣接する敷地には、生産力・技術力共にアジア一の兵器工場であった大阪砲兵工廠がありましたが、この土地が後に大阪ビジネスパーク(OBP)となる敷地です。

 昭和20年(1945)8月14日、まさに日本の敗戦が決まる前日、716.5tもの爆弾がこの砲兵工廠に投下され、壊滅的な被害を受けました。その後20年間、破壊された工場は焼け崩れ、折れ曲がった鉄骨が川面に突き刺さったまま放置されている荒れ果てた状態が続いていたのです。この地は、戦後7年間占領軍により接収されていましたが、昭和27年(1952)占領軍による接収が解除され、大阪が経済都市として再興を図るため、民間に払い下げることとなりました。その結果、26haの敷地が大手企業4社によって所有されることとなりました。
 当初は、個別企業で別々に建設しようという方向にありましたが、その4社の中の一社である住友生命の紹介により参画する機会を得た日建設計は、「この砲兵工廠のあった地は、共同でまちづくりをすべき、極めて社会性の高い場所である」と、熱心な提言を続けていました。その結果、槇総合計画事務所、竹中工務店開発計画本部と共にマスタープランの自主提案を作成することにつき、土地を所有している大手企業4社から了承されるに至ったのです。
  • 7-22 大阪ビジネスパーク位置図

  • 7-23 爆撃で破壊されたままの旧砲兵工廠跡

7-24 大阪ビジネスパーク

大阪に東西軸をつくる

 大阪の街は、「キタ」と「ミナミ」という個性の異なる2つの都市核が、昭和12年(1937)に完成した御堂筋の大きな軸線を背骨として、南北に位置する都市構造となっていました。後に日建設計の社長となる薬袋公明(みない・きみあき)は、キタとミナミを結ぶ都市軸に加え、「ヒガシ」と「ニシ」という新しい2つの核づくりが必要で、「ヒガシ」と「ニシ」を結ぶ東西軸が大阪の発展のためには必要であることを提言していました。そしてその第一歩として、大阪城を中心とした「ヒガシ」の核づくりが必要であると大阪市はじめ各方面に提案していました。
 砲兵工廠跡地の26haの街づくりのマスタープランは、この大きな構想のもとに描かれたのです。

7-25 ツイン21 ギャラリーのアトリウム

強い意志がなければ、何も生まれない

 昭和44年(1969)に自主提案されたマスタープランは、土地所有4社の承認を得ることができ、昭和45年(1970)には土地所有各社による開発協議会が設立されるに至りました。開発のスタートが切られたのです。
 ところが昭和48年(1973)のオイルショックによる経済の停滞で、社会全般の建設マインドは大きく低下しました。更に、民間による初めての大規模開発であることから、行政の各関係機関の承認がなかなか得られず、計画が頓挫しそうな危機にも何度も遭遇したのです。
 しかし開発協議会の志は強いものでした。また当時の大島靖大阪市長の英断もあり、大阪市は官として必要な協力を惜しまず、全面的に民間に開発を任せることに至ります。
昭和51年(1976)、個人(共同)施行の土地区画整理事業が大阪市長から認可されることとなり、ようやくOBPの事業が軌道に乗ることとなりました。

7-26 パークアベニューのケヤキ並木

緑に包まれた街ができた

 現在ではオフィスはもちろんのこと、ホテルニューオータニ大阪や音楽専用ホールのいずみホール、またレストラン等商業施設と一体になったツイン21の自然光あふれるアトリウムなどもでき、人々がここで働きたいと思う、活気のある街になっています。街の中央を東西に貫く美しいケヤキ並木のパークアベニューに代表されるような、緑に包まれたオフィス街を実現できたのも、素晴らしい街をつくるために考え出された「仕組み」があったからでした。
 その「仕組み」とは、敷地をコマ切れに分断せず全体を五つの大きな街区(スーパーブロック)としたこと、そしてOBP全体の土地所有者によってこの都市景観を守るための建築協定を作ったことなどです。 
様々な人びとの思いが込められたこの街は、今も見事に生き続けています。

7-27 クラシック音楽専用のパイプオルガンを備えたいずみホール

 現在に至るまで日建設計は、中国・ロシア・ベトナム・サウジアラビア等中東の様々な文化や社会の中で都市計画の仕事を続けてきています。どのような都市計画の仕事であれ、都市がそこに生きる人達の生命の器であるということを忘れないようにしたいと思っています。都市は生き物なのですから。

7-28 OBPキャッスルタワービルとホテルニューオータニ大阪の間にあるケヤキ並木の公園。
   いずみホールへのアプローチ空間でもある。

(参考文献)
日建設計 (2003)『日建設計ライブラリー OBP 大阪ビジネスパーク』日建設計
7-23 所蔵:大阪都市協会
7-24 撮影:フォト共同プロ
7-25,26,28 撮影:フォト共同プロ
7-27 提供:いずみホール

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