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中国の歴史を現代に生かす

 前回までの配信で、中国のプロジェクトをいくつか紹介していますが、ここでは、中国の歴史を現代に蘇らせる保存・再生プロジェクトを紹介いたします。ひとつは、激動の中国近・現代史の中から生まれた「上海新天地」、もうひとつは唐の時代に建てられた西安大雁塔(だいがんとう)を巡るプロジェクトです。

上海新天地

 1840年に始まったアヘン戦争で疲弊していた清王朝の末期、太平天国の乱が勃発しました。この混乱を逃れるため多くの人々が、江蘇省・浙江省から隣接する上海へ避難して来たのです。西洋列強が支配していた上海の居留地地区(租界)も、その人々を受け入れざるを得ない状況となり、その時に「里弄(りろう)」と呼ばれる集合住宅形式の原型が生まれました。中国の伝統的住宅スタイルと英国の労働者住宅スタイルが混合した、この上海特有の里弄は、北京の「四合院(しごういん)」や福建省の「客家土楼(はっかどろう)」と共に、中国の集合住宅形式として知られています。
 旧フランス租界にあり後に上海新天地となる里弄では、中国共産党第1回大会が1921年に「中国共産党第1次全国大会会址記念館(一大会址)」にて開催されています。この大会には若き毛沢東も長沙代表として出席していました。ちなみに「上海新天地」の「天」の字は、この「一」と「大」を合体したものであることに由来します。

11-1 上海新天地 北ブロック開業 平成12年(2000) 南ブロック開業 平成14年(2002)
この写真は平成14年(2002)当時のもの。現在では、写真左右の空地のみならず、周辺の開発が大きく進んでいる。上方の瓦屋根が密集したエリアが里弄。丸印の位置が、中国共産党第1次大会会址記念館(一大会址)。左の人工池のある公園の地下部が駐車場となっている。

 上海市政府は、歴史的に重要なこの場所を対象に開発の事業提案募集を行い、それに応募したのが、革命時に上海から香港へ移住していた富裕一族の羅康瑞でした。英語名Vincent Loで知られる羅は、オーストラリアで教育を受けており、鄧小平の経済政策で大きく変貌する上海に可能性を見出していたのです。
 羅の事業提案のコンセプトは、里弄を現代的に保存・再生するものであり、上海市政府は、この非常に魅力的な提案を選定しました。ビジネス感覚とアート感覚に優れたこのディベロッパーは、香港の現代的センスを持つカフェ・レストランやアートショップやライブハウス等を上海新天地に誘致し、現代英国の香りもする香港のコンテンポラリーな雰囲気を上海に持ち込んだのです。Vincent Loのリーダーシップの下、当時の日建設計インターナショナル(シンガポール/現存しない関連会社)は、基本設計をウッドアンドザパタ事務所と共に、設計に先立つ綿密な現地調査と実施設計を同済大学建築設計研究院と共に行っています。

11-2 里弄の歴史的環境と緑の景観が、現代的な感覚と活気のある街としている。

 「一大会址」へ敬意ある配慮をしつつ、里弄の歴史的ファサードをできるだけ保存している上海新天地は、緑を巧みに取り入れた中央広場の最深部まで観光客を気持ち良く導き、現代感覚と歴史的雰囲気が融合した、人気のある街になっています。北ブロックが平成12年(2000)、南ブロックが平成14年(2002)に完成し、この成功が周辺地域全体の開発ポテンシャルを上げ、次々と周辺にオフィス・ホテルや商業施設が建設されることとなりました。

11-3 商業テナントには、香港から誘致されたブランドが目立ち、英国の香りも漂う香港の雰囲気が上海に出現。

 中国の歴史を現代に生かしたこの開発の成功事例は、中国全土で有名になり、観光スポットとなりました。しかし現在の上海新天地には、アヘン戦争・太平天国の乱・西洋列強による上海租界・共産党革命・英国の香港支配と中国への返還・文化大革命・共産党主導による経済成長政策など、中国激動の歴史が込められているのです。

11-4 工事中写真。広場を作るために、手前の里弄は取り壊された。

西安大雁塔周辺地区整備計画と北広場計画

11-5 平成17年(2005)にオープンした大雁塔北広場。右の塔が唐時代の歴史的建築である大雁塔。大雁塔の下で横に拡がる建造物が大慈恩寺。設計当初は、広い水面と大雁塔を中心とする「静かな祈りの空間」をイメージしていた。

 古代から数々の王朝の都であった長安は、現在では西安と呼ばれ、人口800万人を超える中国西部の最大都市となっています。秦の始皇帝による兵馬俑をはじめ観光資源も多く、世界各国からの観光客も多い西安は、中国政府による西部大開発の拠点都市としても発展を続けてきました。その西安市が進めているプロジェクトのひとつが、南東部の曲江地区にある大慈恩寺・大雁塔周辺の大規模都市開発です。 

 中国において重要な歴史遺産となっている大雁塔について、中国仏教や日本仏教で歴史的に重要な位置付けにある玄奘三蔵をおいては語れません。玄奘三蔵は、629年から16年間インドで仏教を学んだ後、膨大な数の経典を中国に持ち帰りました。その後、唐の太宗の勅命により、漢文への翻訳事業を行なうための拠点としたのが大慈恩寺でした。玄奘三蔵も造営に携わったとされる大雁塔は、その大慈恩寺の中で経典を収める塔として建設され、5層の塔として652年に完成しています。その後705年に7層の塔として補強・増築されましたが、いずれにせよ唐時代の建築であり、この時代の建造物が少ししか残存していない中国では、大雁塔は重要な国家的歴史遺産なのです。

 開発を担当する西安曲江新区は、大慈恩寺・大雁塔周辺の150haにおいて観光・ビジネス・文化のための都市開発を進めるため、上海新天地で実績のあった日建設計に、西安大雁塔周辺地区整備計画マスタープラン作成と、その心臓部にあたる大雁塔北広場の基本計画を委託しました。整備計画では、大雁塔から南に延びる、幅60m長さ1.2kmの歩行者重視の緑化した大街路「雁塔南路」を提案しており、唐時代の街づくりや建築意匠の考え方をいかに現代に生かすかを重要なテーマとしています。
 大雁塔北広場は、整備計画の第1段階として平成17年(2005)に完成しました。それは、大雁塔の北側に位置する大きな水面を持つ広場で、北の西安中心市街地からのアプローチを受ける、計画地区の顔となる空間です。水の少ない西安において、東西約50m×南北約250mの緩やかな階段状の水景を作り出し、水面に映る像と共に大雁塔を望むことができる広場空間としました。

11-6 西安大雁塔周辺地区整備計画マスタープラン。現在、このマスタープランに基づき、着々と建設が進められている。

 日建設計の提案は以上でしたが、西安市がさらにダイナミックな広場の演出を加えました。それは夜の演出で、光・音楽・噴水をシンクロナイズさせたショーイベントを毎日行うというものです。このイベントは無料で、連日多くの人々がつめかけることとなり、西安の観光名所となっています。
  • 11-7 ライトアップされた大雁塔と人々で賑わう夜の北広場。広場正面の巾70mある横長の滝の石壁後面に、「日本株式会社 日建設計」という文字が彫り込まれている。

  • 11-8 噴水と光と音楽がシンクロナイズするショーイベント

出典
11-1 撮影:沈忠海
11-4 提供:青沼克明

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