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中国の歴史を現代に生かす
上海新天地
旧フランス租界にあり後に上海新天地となる里弄では、中国共産党第1回大会が1921年に「中国共産党第1次全国大会会址記念館(一大会址)」にて開催されています。この大会には若き毛沢東も長沙代表として出席していました。ちなみに「上海新天地」の「天」の字は、この「一」と「大」を合体したものであることに由来します。
11-1 上海新天地 北ブロック開業 平成12年(2000) 南ブロック開業 平成14年(2002)
この写真は平成14年(2002)当時のもの。現在では、写真左右の空地のみならず、周辺の開発が大きく進んでいる。上方の瓦屋根が密集したエリアが里弄。丸印の位置が、中国共産党第1次大会会址記念館(一大会址)。左の人工池のある公園の地下部が駐車場となっている。
羅の事業提案のコンセプトは、里弄を現代的に保存・再生するものであり、上海市政府は、この非常に魅力的な提案を選定しました。ビジネス感覚とアート感覚に優れたこのディベロッパーは、香港の現代的センスを持つカフェ・レストランやアートショップやライブハウス等を上海新天地に誘致し、現代英国の香りもする香港のコンテンポラリーな雰囲気を上海に持ち込んだのです。Vincent Loのリーダーシップの下、当時の日建設計インターナショナル(シンガポール/現存しない関連会社)は、基本設計をウッドアンドザパタ事務所と共に、設計に先立つ綿密な現地調査と実施設計を同済大学建築設計研究院と共に行っています。
11-2 里弄の歴史的環境と緑の景観が、現代的な感覚と活気のある街としている。
11-3 商業テナントには、香港から誘致されたブランドが目立ち、英国の香りも漂う香港の雰囲気が上海に出現。
11-4 工事中写真。広場を作るために、手前の里弄は取り壊された。
西安大雁塔周辺地区整備計画と北広場計画
11-5 平成17年(2005)にオープンした大雁塔北広場。右の塔が唐時代の歴史的建築である大雁塔。大雁塔の下で横に拡がる建造物が大慈恩寺。設計当初は、広い水面と大雁塔を中心とする「静かな祈りの空間」をイメージしていた。
中国において重要な歴史遺産となっている大雁塔について、中国仏教や日本仏教で歴史的に重要な位置付けにある玄奘三蔵をおいては語れません。玄奘三蔵は、629年から16年間インドで仏教を学んだ後、膨大な数の経典を中国に持ち帰りました。その後、唐の太宗の勅命により、漢文への翻訳事業を行なうための拠点としたのが大慈恩寺でした。玄奘三蔵も造営に携わったとされる大雁塔は、その大慈恩寺の中で経典を収める塔として建設され、5層の塔として652年に完成しています。その後705年に7層の塔として補強・増築されましたが、いずれにせよ唐時代の建築であり、この時代の建造物が少ししか残存していない中国では、大雁塔は重要な国家的歴史遺産なのです。
開発を担当する西安曲江新区は、大慈恩寺・大雁塔周辺の150haにおいて観光・ビジネス・文化のための都市開発を進めるため、上海新天地で実績のあった日建設計に、西安大雁塔周辺地区整備計画マスタープラン作成と、その心臓部にあたる大雁塔北広場の基本計画を委託しました。整備計画では、大雁塔から南に延びる、幅60m長さ1.2kmの歩行者重視の緑化した大街路「雁塔南路」を提案しており、唐時代の街づくりや建築意匠の考え方をいかに現代に生かすかを重要なテーマとしています。
大雁塔北広場は、整備計画の第1段階として平成17年(2005)に完成しました。それは、大雁塔の北側に位置する大きな水面を持つ広場で、北の西安中心市街地からのアプローチを受ける、計画地区の顔となる空間です。水の少ない西安において、東西約50m×南北約250mの緩やかな階段状の水景を作り出し、水面に映る像と共に大雁塔を望むことができる広場空間としました。
11-6 西安大雁塔周辺地区整備計画マスタープラン。現在、このマスタープランに基づき、着々と建設が進められている。
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11-7 ライトアップされた大雁塔と人々で賑わう夜の北広場。広場正面の巾70mある横長の滝の石壁後面に、「日本株式会社 日建設計」という文字が彫り込まれている。
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11-8 噴水と光と音楽がシンクロナイズするショーイベント
11-1 撮影:沈忠海
11-4 提供:青沼克明