Project Story

桐朋学園大学
調布キャンパス1号館

#01

高度な遮音性と、感性を育む快適空間。
音大が抱える“二律背反”への挑戦。

2010年春、土地探しが難航し、調査段階で長期間ストップしていた桐朋学園大学音楽学部の新キャンパス建設プロジェクトがスタートした。音楽大学の学舎の常識を変えるプロジェクトの静かな始まりだった。

Project Member

1998年入社
日建設計
設計部門ダイレクター

羽鳥 達也

2005年入社
日建設計
設計部門

笹山 恭代

2006年入社
日建設計
設計部門

石原 嘉人

驚きの連続からのスタート。
調査により、見過ごせない実態が判明。

音大の学舎は特殊だ。初めて訪れた部外者は、未来の音楽家たちには不釣り合いな牢獄めいたイメージに戸惑わされる。分厚いコンクリートの外壁。中に入ると、廊下の両側にレッスン室のドアが並んでいる。遮音性重視の暗く単調なこの造りを、これまで音大生は選択肢もなく受け入れてきた。その実態調査で、責任者である上司のもとでリーダーを務めていた羽鳥は、首を傾げたくなるような現実を目の当たりにした。たとえば、構造上の理由から、編成の大きな演奏などを行う大ホールは上階に設けられる。エレベータは、動かしづらいドラムセットやマリンバなどをたまに移動させる時のためのもので、チェロなど持ち運べる重い楽器を担当する学生は、楽器とともに階段を上り下りしなければならない。その他、居場所がないことにより廊下の銅像前のスペースが、授業の前に譜面を振り返るための人気スポットになっていたり、漫然と並ぶロッカーが廊下を狭くしていたり…。

これらの調査は、「高校と大学で共用してきた校舎が手狭になっているので解決策を見つけたい」という桐朋学園大学音楽学部の要望を受けて開始。早い段階で、改修では難しいとの合意が得られ、大学専用の学舎を新設するための土地探しが始まったが、それが難航するうちに、調査は深く掘り下げたものとなっていった。羽鳥が中心となり、当時の若手たちが、学舎内の様々なものを測り、写真に撮り、スケッチを重ね、楽器もモデル化して3D化。並行して前述のように学生たちの日常を調べ、また、教授陣全員にインタビューして個々の要望も確認していった。他の主だった音大への視察も行い、見えてきた課題の多くは全ての音大に共通するものと認識するようになった。

ひるまず一つひとつの課題に挑む。
すると、解の一つが思いがけない突破口に。

ついに土地が決まり、2010年春、プロジェクトが本格始動した。羽鳥以外はメンバーも一新され、笹山と石原が新たに参画。当初、羽鳥と石原は担当する別のプロジェクトが佳境に差し掛かっていたため、まずは笹山が準備に動いた。社内の学舎の設計を専門とするチームから協力を得て、時間割の分析をもとに、必要なレッスン室の数を割り出して、その最適配置を探っていく。やがて羽鳥と石原もフルに動ける体制が整い、全員で一つひとつ課題と向き合う中で、提案が少しずつ形となっていった。建設予定地には建物が建っていて更地にするまでに時間があったため、設計にも十分な時間をかけることができた。

課題の一例が、敷地の関係で屋外空間を確保できない中、学生が集い、教授たちともフランクな会話を楽しめるオープンな空間を屋内に組み込むことだった。アイデアを出し合ううちに、誰からともなく、建物を地階・1階・2階の3層にして、1階をオープンな空間にする案が出た。これなら、従来通り階を積み上げる建て方に比べ、階段・エレベータやトイレに費やす面積を大きく減らせる。さらに、土が効果的な遮音層となる地階に大ホールや大音量の打楽器、管弦楽などのレッスン室を配し、2階に比較的音の小さい弦楽器や古楽器のレッスン室を配すれば、人の動きの点でもいかにも合理的で、笹山が追究してきた最適配置にも合ってくる。

並行して、使える空間を少しでも広くするため、遮音性能を確保しつつ各室の壁をできる限り薄くする方法も検討された。社内・音響チームの協力もあり、レッスン室は隣接させるより相互に遮音層となる廊下を挟み込んでバラバラに配した方が壁を薄くでき、結果的に室数も増やせることが判明。これは、教授陣と学生たちの思いに応えて、広さ、プロポーション、天井高などが1室1室異なるレッスン室を実現するためにも好都合だった。大小の室をうまく配置すれば変化に富んだ廊下を形づくれる。それぞれ廊下側に大型の開口部を設けガラス張りとすることで、廊下からの自然採光、自然通風も取り込める----。課題との格闘は、期せずして、チームが当初から願っていた“牢獄イメージからの解放”へとつながっていった。

道具も人も情報も最大限に活かすこと。
設計者の想いがその原動力に。

もちろん、前例のない試みは困難だった。その一つが、3層を構造的に成り立たせるための、細かな調整への挑戦だった。そもそも構造上重要な1階の柱は、上下階の壁がうまく重なるところにしか設けられない。そこで、笹山と石原は、まず地階と2階のレイアウト図を重ね、制約を守りながら柱を配置してみて、柱の間隔や密度が構造上の必要を満たしていない部分は、上下階の廊下や空隙の幅を微妙に調整して柱を増やしていった。さらに、仮想空間に3次元モデルを組み上げる設計手法BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)の3Dモデルでその結果をチェックし、自然採光や自然通風に問題があれば、再度調整をかけるという煩雑な作業を、ひたすら繰り返した。これをやり通せたのは、3D画面を共有できるBIMがあったからだ。実はこのプロジェクトは日建設計において、コンピュータ上のBIMを全フェーズに渡って活用した初事例でもあった。笹山はこの仕事を通じてBIMに習熟し、やがて社内における第一人者としての評価されるようになる。BIMは同時に、羽鳥が段階を追って行う大学側へのプレゼンテーションにも大きな力を発揮した。

従来のレッスン室では音の響きを好ましいものにするために壁が傾いていたことも、ぜひ解消したい難点の一つだった。傾いた壁は平衡感覚を狂わせ、船酔いのような症状を起こさせることもある。空間を狭め、使いづらくもする。そこで、石原が中心となり、社内の音響チームや実績豊富な大学の研究室とも連携して、ホール建設などで用いられる手法の流用に挑んだ。幅の異なる板を1枚1枚計算された角度をつけて並べることで音響壁を構成。新たなシミュレーション技術とモックアップを利用した実験を併用した設計プロセスは思いのほか楽しく、石原は、室ごとに異なる最適な音響壁を追求した。これが、期待を超える成果へとつながった。

努力は価値を生む。「多くの人の役に立てた」。
その喜びが設計を変え、教育の場を変えていく。

こうして新学舎の仮想空間における姿は仕上がっていく。もちろん予算その他の制約の中で諦めていただいた要望もあったが、確かなデータにより、プレゼンのストーリー展開に説得力が増していった。

2012年初冬、関係者たちの高まる期待の中で工事が始まった。前例のない複雑な建物形状から施工の難航が案じられたが、BIMが可能にする3Dモデルが施工者の理解を助けたことや、監理を担った笹山、石原によるモックアップなども使った丁寧な打合せなどが功を奏して、順調に進行した。笹山も石原も、3Dモデルで隅々まで見慣れた空間が目の前で日々刻々と現実のものになっていくという、これまでにない経験をすることができた。

2014年春。プロジェクトのキックオフから4年を経て、新学舎は完成した。厳かな竣工式典で神職が神を招く第一声を発すると、それが室内に響き渡り、教授たちがざわついた。見合わせる顔から、驚きがあふれ出る。苦心を重ねた音響壁が音楽家たちの心を捉えた瞬間だった。

これを境に、桐朋学園音楽学部の学び舎は、遮音性が確保され、かつ明るくオープンな空間へと生まれ変わった。どのレッスン室も、授業で利用されていない時間帯の練習予約が途切れることがない。廊下からのガラス越しの目線が練習の質を高め、廊下からガラス越しに見る友の練習ぶりが競争心を掻き立てる。そんな環境が音大生にもたらす価値、さらに社会的価値や経済的価値を明確に数値化することは難しい。しかし、それを推測させる現象は生まれている。たとえば、竣工から7年を経た2021年、世界の音楽界は桐朋学園大学音楽学部出身者たちの快挙にわいた。ショパン国際ピアノコンクール、ジュネーブ国際コンクール・チェロ部門、バルトーク国際コンクール・弦楽四重奏部門と続いた活躍は、新しい学舎と無関係ではないだろう。

ことは音大だけに限ったことではない。少子化社会の中でますます重要となっていく教育の場において建築が担う責任は、世間一般の認識以上に大きいと言えるだろう。日建設計がその責任を全うしていくために、桐朋学園音楽学部調布キャンパス1号館の成功は一つのベースとなった。そして、その事実は今、羽鳥、笹山、石原の3人に、設計の仕事に対する一層の誇りと熱意をもたらしている。

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