Project Story

京都駅ビル
熱源改修プロジェクト

#03

京都市内で最もCO2排出量の
多かったビルが、
優秀な環境モデルに生まれ変わる。

2009年、京都市が環境モデル都市に認定され、C02排出量削減の気運が一気に高まった。当時、京都駅ビルのC02排出量は、ビル単体としては京都市内で最多。やがて大きく問題視されるに違いないこの事実に、管理運営を担う会社は焦りはじめていた。

Project Member

1989年入社
日建設計
執行役員
エンジニアリング部門
サスティナブルデザイングループ
プリンシパル

高野 恭輔

1993年入社
日建設計
エンジニアリング部門 
設備設計グループ
アソシエイト

牛尾 智秋

2000年入社
日建設計
エンジニアリング部門
サスティナブルデザイングループ
アソシエイト

小川 禄仙

2008年入社
日建設計
エンジニアリング部門
設備設計グループ
アソシエイト

副島 正成

ビルの管理会社の並々ならぬ決意に、
日建設計の社会貢献への想いが呼応した。

京都駅ビルは、バブル期の1990年に実施された国際コンペを経て1997年に竣工した。経済合理性をも度外視した豊かな空間を持つこのビルは、今の時代には貴重な財産であり、都市のストックとして大切に使い続けていくことが望まれてきた。ところが、社会が持続可能性重視へ舵を切るなかで、大きなCO2排出量が、見過ごせない課題として浮上。ビルの管理運営会社は、強い意志を持ってこれに対処することを決め、2010年、総勢10名の有識者によるコミッショニング委員会を立ち上げた。コミッショニングとは、建築物やその設備の企画から運用に至るまでの各フェーズにおいて、中立的な立場に立つ専門家が調査や助言、必要な確認、検証などを行い、発注者の要求を実現へと導くことを言う。もともと欧米生まれの手法であり、日本では主に建物竣工後の運用改善に適用されており、大規模案件で現状調査・設計・施工・運用までの全フェーズを通じて実施されたのは、この案件が初めてだった。コミッショニング委員会が立ち上がると、早速、現状分析と課題の整理が進められ、同年のうちに設計者選定に向けたプロポーザルが実施された。

当時、スクラップ&ビルドからストックへという時代の変化の中で、既存の建物を適切に改修していくことが重要な社会課題となっていることに目を向け、他社が手がけた建物の改修にも力を入れ始めていた日建設計は、当プロポーザルにも参加を決定。プロジェクトチーフを任された高野は、少人数のチームを組み、実施方針や設計体制、関連した実績などをまとめた提案書を作成・提出して、競合2社をおさえ設計者に選定された。これを受け、高野以外のメンバーは入れ替わり、牛尾と副島が新たに参画した。

そうそうたる有識者たちの知見に助けられながら、
理想的かつ実現可能な基本設計を描き出す。

京都駅ビルが企画された当時、京都では、電力供給のひっ迫を避けるために大規模なビルはガス熱源を主体とすることが推奨されていた。このため、京都駅ビルの熱源システムもガスが主体で、搬送動力の低減のためにと採用された蒸気を使うため、東西に長い建物の蒸気配管からは約25%の熱が失われていると推定された。一方で、契約電力量にはかなりの余裕があったことが調査で明らかとなる。この結果、コミッショニング委員会は、“高効率を追求した最先端の機器を導入すれば、ガス熱源から電気熱源に切り替えても夏季ピーク時を含めて需要をカバーできる”という見解に至っていた。ところが、これを設計者として実現することは容易ではない。たとえ猛暑日に故障が発生したとしても問題なくカバーできるだけの完璧なバックアップ体制を整える必要があるからだ。もちろん予算にも制限があるなか、実現可能な熱源切り替えプランを求め、2週間に1度のコミッショニング会議で様々な意見が飛び交う議論が繰り返された。

この課題に限らず、コミッショニング委員各々の意見はさまざまで、最終的な合意には至らず、委員長、さらには発注者の判断に委ねられるという局面もあった。そんな中、高野、牛尾、副島の3人は、日建設計としての確固たる考えを練り上げ、議論を通じて真に望まれる改修への流れをつくっていくことに努めた。高野は、会議以外に個別の面談を行うなどして牛尾と副島を後方支援。牛尾と副島は会議の流れを事前に予測して、より円滑な進行に向けた資料を用意するべく力を合わせた。こうして約1年半をかけ、改修の基本設計が固まっていった。
 その後、発注者側でも合意形成に時間を要したことから長い待機期間があり、ようやく2014年春に、実施設計が始まった。

生きたビルの改修は、まさに真剣勝負。
緊張の中での短期決戦に、全員が大きく成長。

待ちの状態から実施設計へと局面が変わると、今度は打って変わって時間との戦いが待っていた。大命題であるガスから電気への熱源切り替え工事をビルの営業を止めることなく行うためには、冷暖房の熱源需要が最も小さくなる中間期を選ばなければならない。各種補助金申請の締め切りもある。それらの条件下でスケジュールを成立させるために逆算していくと、秋には施工業者を決める必要があった。すでに議論は尽くされているので、決まったことを図面に落とし込んでいくだけだが、大規模な駅ビルの改修だけに図面の数も膨大だ。牛尾と副島は、集中力を高め、ひたすら作業に没頭。半年間が瞬く間に過ぎ、目指した通り、9月には施工業者を決める入札に向けた見積もり説明を実施、10月には入札を完了、年内に施行業者を決定することができた。

着工後も緊張は続いた。施工中もビルは営業を続けているため、一つのトラブルも許されない。現行設備は図面からだけではわからないことも多く、事前に現地調査を重ねているが、それでも施工を進める上で、想定外の問題が発覚する。その度に駆けつけ、素早い判断で問題を解決することでトラブルを未然に防ぎ、工事を円滑に進めなければならない。場合によっては、発注者や施工者などとの交渉も必要となる。牛尾と副島、そして、途中から電気設備の担当としてメンバー入りした小川の瞬発力と交渉術は、日々、実戦で鍛えられていった。

 特に熱源切り替え工事で頑張ったのは小川だ。電気関連の専門用語は多岐にわたり、噛み砕いた言い換えも難しい。専門的なことを専門外の人に伝えることにこれほど気を配ったのは初めての経験だった。電気室や機械室のスペースに余裕がないことにも苦戦した。改修した結果、日々運用を担う人たちにとって、かえって不便にならないよう、限られたスペースにうまく機器を配置して、これまでに近い使い勝手を実現しなければならない。現地に足を運び、実際の運用状況をヒアリングしながら計画を練り上げ、施工者にもしっかり意図を伝えるなど、精一杯の努力を重ねた。

60%もの省エネの実現で知った、改修の醍醐味。
今後も時代の要請に応え、優れた成果をあげる。

賑わう駅ビルの舞台裏で繰り広げられた改修工事は、約1年8か月後、大きなトラブルもなく終了した。そして、その1か月後、牛尾たちはさらなる達成感を得ることができた。「エネルギー消費量の60%削減」という目標値に肉薄する、56%もの省エネが実現されていたのだ。その数字を見た途端、大きな喜びと深い安堵が押し寄せた。

それだけで終わることはなく、竣工後も3年間にわたり、目標の実現に向けたコミッショニングが計画されていた。数は減ったものの、竣工後も会議を継続し、委員たちが収集したエネルギー消費状況の詳細なデータとその分析結果をもとに、目標達成に向けての方策を協議。採択された方策を牛尾と副島が中心になって実行し、一層の削減を図っていくのだ。知恵を絞りに絞って実現した56%の上に数字を積み上げていくことは、考えていた以上に困難だった。実施した方策が想定した成果を生まなければ、その理由を求めて止めどなく分析が重ねられる。二人は、妥協を許さないコミッショニング方式に折れそうになりながらも、決して諦めることなくじりじりと成果を上げていった。そして、もう後がない3年目、ついに60%を達成。関係者全員で勝ち取った勝利だった。

こうして京都駅ビルはカーボンニュートラルの時代に相応しい建物に生まれ変わり、プロジェクトは、国内外の権威ある賞の数々を受賞。改修は新築と違って、外観には現れない地味な仕事だ。しかし、持続可能な社会の実現に大きく貢献できる、やりがいある仕事でもある。このことを改めて実感した高野は現在、日建設計における改修プロジェクトの拡大に余念がない。牛尾、副島、小川の3人も、京都駅ビルという誇れる実績を足掛かりに、既存ビルの省エネ化という課題に対し、さらなる成果を積み重ねていこうとしている。

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